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サンセベリアに花が!2022.01.28

事務所でサンセベリアを育て5年ほどになります。その間2回ほど花が咲いたのですが、今回この花は初めて香りを発し始めました。虫を引き寄せたいのか、はたまた私にもっと愛情を注げというサインなのか。と思っていると、なんと一時間ほどで少しずつ香りが弱くなって…満足したのかな、おまえ。ちなみに花言葉は永久、不滅なんだそうです。この花言葉はどうやって、どんな理由から付いたのでしょうね。

2022年 大雪の寅年2022.01.14

2022年 本年もよろしくお願いします。
昨年末から長野地方は大雪です。おかげでスキー場の積雪は十分で、1月2日は絶好のスキー日和となり奥志賀高原に行ってきました。冬山の景色は白一色でとても美しく、スキー半分、景色を眺め過ごす時間が半分といった休日でした。この日は珍しくゴンドラリフトの待ち時間が1時間。景気が良くなってきたのでしょうか。今年はこの青空のように、すっきりした良い一年であればいいですね。

今年も一年ありがとうございました2021.12.29


2021年も残り2日ですね。
9年前のちょうど今日(12月29日)はバルセロナで未完の建築に感動していた時です。
ここ2年どこにも行けず、心のゆとりすら失った気がしますが
来年こそは仕事に そして旅の復活に 充実した一年でありたいものです。
事務所は昨日で仕事納めでしたが、雑用が諸々あり出社しています。
だめですねー、時間のゆとりが無いのは。
ともあれ来年もどうぞよろしくお願いします。

ちょっと山まで2021.06.09

誕生日と重なった休日、山に登った–登山でなく車です。冬には良く訪れる志賀高原の初夏、この季節は風がとても心地よい。昔はこのロープウェイでスキー片手に向かいの山(西館山)へ何度も渡ったものです。残念ながら今は過去の乗り物(展示物)になってしまって…。この歳となってはロープウェイ前の彼らのように青春(死語でしょうか)はできないですが、半世紀以上生きた今でも公私共に楽しいと思える事が何よりです。このロープウェイは恐らく同年代でしょうね。人生楽しいですか?と聞いてみたい同年代。それにしても良く見るとクラシックな渋い体つき、カッコいいね!なんて…ね。
人生楽しみついでに仕事ももうひと頑張り!この渋い、そして味わいのあるロープウェイのような、そんな建物を創るのが…理想です。

梅 と 桜2021.04.09

春の花が咲く季節はいいですよね。この季節は事務所へ歩いて通勤しています。といってものんびり歩いて20分程度でしょうか。この季節、朝は凛とした空気が気持ち良いのです。3週間ほど前から長野でも梅の花が咲きはじめ、続いてソメイヨシノも花を咲かせました。そろそろ若葉が芽吹く季節となりますね。で、歩いていると住宅の庭木にどうしても目が向いてしまうのです。仕事柄なのでしょうか。
通勤途中の道沿いに、あまり多くは無いのですが庭木に桜を植えている住宅を見かけます。季節を感じる木があるといいですね。
私の生まれた実家でも庭には梅の木がありました。子供の頃は花などに勿論興味などなく、季節を木々で感じる事もなかったのです。
話を通勤途中の庭木に戻しますが、今朝歩いていて感じたのは住宅にソメイヨシノがどうしても私には馴染めないのです。なぜでしょうね。日本家屋といえば平屋の住宅に小さな庭があり、そこには梅のうねった枝が道路側に迫り出す風景が頭にはあるのです。生まれ育った庭の梅が原風景となって心に焼き付いているのか。

ソメイヨシノはもともと人工的に創られた桜かと記憶しています。どうもここに引っ掛かりがあるのか?ソメイヨシノは公園の木ならいいのか?でも神社やお墓を見守るように咲いている桜は心惹かれるし…。写真は今朝撮った写真です。ここは通勤途中に立ち寄る神社ですが、こんな桜はいいですね。通勤では住宅の庭木桜と神社の桜を見比べ、住宅に桜は馴染めないものか?こんな事を考えながら歩いてきました。

桜(ソメイヨシノ)が住宅に馴染まない理由、今回通勤中の議題の結論は相変わらず持ち越しとなりました。(枝ぶりと建物-屋根のバランスによるものなのかな?)とブツブツ。

ほぼ日手帳2021.02.15

20年ほど使ったシステム手帳が少しずつ色褪せ、いつの間にやら綻んで、意を決して2021年から新しい手帳にした。「ほぼ日手帳」と呼ばれるもの。-ほぼ-という大雑把な名前に惹かれたこの手帳はスケジュールと毎日何かを記録する項もあり、日記の様に使えるところが気に入り購入した。体裁は気にせず感じたことや考えている事など文字と下手な絵を取り混ぜ記録し始めて1ヵ月、恥ずかしくてお見せ出来ませんが相変わらず字が汚い(下手な)のが気になります。
背後にあるノートは仕事用ノートで打合せた内容をメモするためのもので後からの読解に苦労してます。
なかなか時代に反してアナログですね。

ハスの実2020.10.20


設計仲間とプロポーザルコンペに参加した時、建築地の隣に佇んでいたハスです。
綺麗に南を向いていたハスが実を付けていました。実物を見るのは初めてでしたが、色も形もプロポーションも全て綺麗です。こんな有機的な建築が出来たらいいな。そう思いました。昔映画で見たETの宇宙人の子に何となく似てませんか?

芸妓はん 舞妓はん2020.08.22

京都は好きな町です。
何回でも訪れたい場所なのですが、今やコロナ禍でなかなか行けない遠い町になってしまいました。



悶々としていたこの時期の週末、撮り溜まっていた番組で京都祇園の芸妓「沙月の四季」というTV番組を見ました。
15歳から舞妓となり今や祇園で7年連続一番人気となった芸妓のはなし。
著名人、文化人と会話を楽しみ、指名があれば一日複数回芸妓として座敷に足を運ぶほどの人気らしい。その人気の秘訣は舞の所作と接客にあるようだ。舞での手先の動きが美しく、会話を楽しくできるところに好感を持たれている。相手を楽しくさせる努力はせず、自分が楽しむことに徹すれば、自然と楽しい場となり、それが相手にも楽しさが伝わると。



これを設計の仕事に置き換えると、わくわくするような、あるいは家族が楽しく過ごせる家とするため、その建物を設計者が建て主となって楽しく真剣に設計に取り組むことでしょうか。いつも納期に追われ、深夜に及ぶ設計作業では楽しい設計作業とは言えませんね。反省です。
そして今回一番の見どころは「花かんざし」ちょっと女々しいでしょうか。いやそんな事はないのです。実に奥が深い。身に着けるかんざしが毎月(12回)変えることにも驚きでしたが、季節に合わせたかんざしのデザインが実に美しく日本の伝統文化が色濃く残り、細かな職人技に引き付けられました。
今まで京都といえば社寺仏閣を中心に歩き回っていましたが、京(日本)文化である伝統的な作法に焦点を当てた町歩きも良いものですね。
お茶屋遊びは到底叶わないにしても、今度は違った角度で京都を歩ければ….きっと設計の仕事にも役立てそうです。



豊かな生活2020.05.22

「コロナ禍」生活が急激に変わってしまいましたね。
外出禁止を止む無く強いられ、家を出る事、人と話すことに気を遣う毎日。住んでいる地域が長野市という少し田舎だけあって東京などの人口密集地とは違うのですが、事務所から見える風景が以前と違うのです。路線バスは気味悪いように無人バス。そして目の前の飲食店にも人の気配が感じられない。夜は飲食店も営業していないので、私の事務所と隣のコンビニだけが明りを灯す程度の寂しい夜景です。あっ…長野市はそんなに夜景といえるほど灯はないのですが。
そんな経済活動が停止している状態がなんと地球には優しいことに今更ながら気が付きました。飛行機(ジェット機)がオゾン層を破壊することは以前からの問題ですが、中国の経済活動が止まったことでスモックが無くなり、インドではヒマラヤが見えるようになった等のニュースが目に留まります。どうも人間が暮らす基本的な環境は改善されているように見えます。今の世界は経済と自然環境が相反すること。ここが問題ですね。ただ事務所近くの川に変化がみられました。コンビニ?で買ったお弁当のプラスチックゴミ類が川に溜まっている事が多くなったように感じます。これは自宅で籠ることに関係がありそうです。個人的な推察ですが。
現在の生活に目を向けてみます。自粛で自宅に籠っていると、精神が病んできます。DVや離婚が増えたのも恐らくこんな影響なのでしょう。ある方からの話です。テレワークを実施中の企業でありながら、しばらくすると社員が出社し始めたと。どうも家にいるのが辛い、居場所が無いようなのです。
こんな時「家」が人々の精神面に大きな影響を及ぼすことが分かりますね。不思議なことに狭いけど籠っていてもストレスなく心地よい住宅もあれば、大きな家に住んでいても閉塞感、孤独感のある家があります。住む人の意識に問題がある場合もありますが、我々設計者の責任も大きいはずです。これをきっかけに、住まいの大切さについて人々が見つめ直すきっかけになったらうれしい。
我が家には小さな庭と20年以上前に作った古いデッキがあります。このデッキは安い木材ですが、今のところまだ現役です。コロナ禍で自粛の中、ほっとする場所のひとつに、自然があると思います。一歩外に出れば花があり、鳥の囀りが聞こえる。自然に触れることが人の心を安らかにしてくれる。花を見て風を感じ、鳥のさえずりを耳にし、時にはデッキで珈琲を飲みながら雑誌を眺めて….いつの間にかうたた寝。幸せです。狭い家ですが、中庭とデッキを造っておいて良かったと今になって感じます。
ご近所付き合いも欠かせません。隣の土地は畑です。畑で採れた野菜のお裾分けがあれば、こちらからお礼にとワインをお裾分け。これはお隣さんの家と我が家の庭があまり仕切られていないことに関係があるのかも。コロナ禍をきっかけに「豊かさ」という本質に人々が気づき、暮らしが変わる事(私も含め)を期待して、まだまだ続くコロナ禍を見つめようと思います。
そして不謹慎な話ですが、京都は好きな場所のひとつでありながら、観光客が多く最近行っておりません。観光地と人のバランス(密集度)にも良い方向の変化があれば個人的に嬉しい事です。
22.May.2020

ウラジロモミ2020.03.17


ウラジロモミという木はご存じでしょうか。
名前の通りモミの木の一種で、葉の裏側が白いストライプとなっている綺麗な葉の大木です。ある村のプロポーザルコンペの指名を受け、提案作りのヒントを探すため現地を視察している時に見つけた印象的な大木です。
村からのコンペの要望は室内足湯施設を求めたもの。これに対して室内足湯は需要があるのだろうか?要望通り室内足湯をメインとして良いものだろうか。葛藤を繰り返しながら出した判断は、少し要望から逸脱した内容であり、その提案の一部が一連のイメージです。ウラジロモミの実のような施設が群となして賑いを表現できればとの思いからでしたが、結果は当然落選となりました。コンペ終了から少し時間をおいて冷静に考えると多くの反省点もありましたが、久しぶりのコンペ作業を通して、終わった時の心地よさと、少しだけ頭が柔軟になった?ような気がします。これが今回コンペの対価なのでしょうね。経営としてはダメダメですが。




BIMと模型2020.01.24

設計の仕事も手描きの製図版からパソコンで図面を描くCAD設計といわれる作業に移り、
そして今はBIMと呼ばれる3次元設計に移行しつつあります。
弊所でも昨年から試行錯誤でこのBIMと呼ばれる設計方法を取り組んでおりますが、
これが曲者でして…頭の中と画面のイメージがどうもすれ違うのです。
画面を睨んでの作業より、手作業での切ったり貼ったりの模型が
まだまだ性に合っているように思います。

「設計者の職能」2019.12.03

長野市では現在2021年に完成予定の信濃美術館工事の真っ只中。先日、設計者である宮崎浩氏の講演会も兼ねた現場見学会もあり参加してきました。この講演会は設計の取り組み方を見つめ直す良い機会を頂いたように思います。
講演会のなかで何度か「職能」という言葉がでてきました。職能とは設計者の責任において解決しなければならない事柄です。最近の設計者は「この案(デザイン)いかがですか」と依頼者に確認を取り了解を得たら進めるといったデザインの責任放棄をしている。これは職能放棄だと。それは依頼者の了解を得ないで勝手に設計を進めることではなく、設計者が何もない空間に線を引くこと、その線には社会性や未来への責任ある線(デザイン)が存在するのか、それを説いているのだと受け止めました。一方、全ての問題解決を設計者が受け持つのでは無く、依頼者が検討解決すべき事案と設計者が解決しなければならない内容を明確にすること。それがより良い設計につながるのだと。なるほど、最近設計姿勢に迷いがありましたが、少し頭がすっきりしたように感じた講演会でした。