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ウラジロモミ2020.03.17


ウラジロモミという木はご存じでしょうか。
名前の通りモミの木の一種で、葉の裏側が白いストライプとなっている綺麗な葉の大木です。ある村のプロポーザルコンペの指名を受け、提案作りのヒントを探すため現地を視察している時に見つけた印象的な大木です。
村からのコンペの要望は室内足湯施設を求めたもの。これに対して室内足湯は需要があるのだろうか?要望通り室内足湯をメインとして良いものだろうか。葛藤を繰り返しながら出した判断は、少し要望から逸脱した内容であり、その提案の一部が一連のイメージです。ウラジロモミの実のような施設が群となして賑いを表現できればとの思いからでしたが、結果は当然落選となりました。コンペ終了から少し時間をおいて冷静に考えると多くの反省点もありましたが、久しぶりのコンペ作業を通して、終わった時の心地よさと、少しだけ頭が柔軟になった?ような気がします。これが今回コンペの対価なのでしょうね。経営としてはダメダメですが。




BIMと模型2020.01.24

設計の仕事も手描きの製図版からパソコンで図面を描くCAD設計といわれる作業に移り、
そして今はBIMと呼ばれる3次元設計に移行しつつあります。
弊所でも昨年から試行錯誤でこのBIMと呼ばれる設計方法を取り組んでおりますが、
これが曲者でして…頭の中と画面のイメージがどうもすれ違うのです。
画面を睨んでの作業より、手作業での切ったり貼ったりの模型が
まだまだ性に合っているように思います。

「設計者の職能」2019.12.03

長野市では現在2021年に完成予定の信濃美術館工事の真っ只中。先日、設計者である宮崎浩氏の講演会も兼ねた現場見学会もあり参加してきました。この講演会は設計の取り組み方を見つめ直す良い機会を頂いたように思います。
講演会のなかで何度か「職能」という言葉がでてきました。職能とは設計者の責任において解決しなければならない事柄です。最近の設計者は「この案(デザイン)いかがですか」と依頼者に確認を取り了解を得たら進めるといったデザインの責任放棄をしている。これは職能放棄だと。それは依頼者の了解を得ないで勝手に設計を進めることではなく、設計者が何もない空間に線を引くこと、その線には社会性や未来への責任ある線(デザイン)が存在するのか、それを説いているのだと受け止めました。一方、全ての問題解決を設計者が受け持つのでは無く、依頼者が検討解決すべき事案と設計者が解決しなければならない内容を明確にすること。それがより良い設計につながるのだと。なるほど、最近設計姿勢に迷いがありましたが、少し頭がすっきりしたように感じた講演会でした。


命の洗濯2019秋 其の二2019.11.20

「10月5日」 晴れ
瀬戸内国際芸術祭2019が開催されている直島へ。海が近くにあり、大小さまざまな島が目の前に広がり、長野とは対照的な風景に遠くに来たと実感が沸きます。SANAA設計の「海の駅なおしま」を眺め、レンタサイクルショップへ。島めぐりは自転車がいいですね。まずは草間弥生作の赤カボチャに挨拶し、藤本壮介作の「直島パヴィリオン」を眺めながら島の地図を片手に行先を思案。地図を見ていると、あちこちに作品群が記載され芸術の島を実感します。





10月の瀬戸内海は日差しも強く、海もキラキラと光が奇麗です。急な坂道を自転車で走ると額から汗がほとばしり、日頃運動していない体が悲鳴を上げ始めていた時、丁度良いところに野立傘が。芸術作品の元床屋さん前のスタンドでマンゴージュースを飲みながら、しばし心地よい風を感じつつ作品を眺めていました。途中、石井和紘設計の直島幼稚園も遠くから俯瞰し現在思案中の保育園の構想に思いを巡らせる。今回初めて知ったのですが、直島は石井和紘氏設計の建築が多かったのですね。直島の庁舎もいい感じです。





そして隣が今回目的のひとつ、三分一博志設計の「直島ホール」。屋根の頂部に風を通す仕掛けがあり、ホール内を負圧にし、腰壁から風を取り込むという省エネを試みた建物です。


三分一博志氏は、昔訪れた犬島アートプロジェクトで知ったのですが、そこに設計者の挨拶文としてこんな文面が描かれていました。
(最後の写真は犬島アートプロジェクト)

「今までかえりみられることのなかったもの、捨てられてきたものに新たな価値を見出し、地球と知的な関係を築いていくこと。それが建築として表情をあらわしたとき時代を超え親しまれていくと信じている。」 と (つづく)

「楽しみの本質は…」2019.11.12

キッチン

我が家のキッチンは今どき珍しいガスレンジですが、かれこれ22年物。まだまだ現役で料理の強い味方です。火を使うのでIHレンジより何かと注意が必要ですが、火が見えるので料理をしているという実感が沸きます。私はたまにしかしませんが、太古の時代から男は火が好きなのでしょうね。
先日、栗菓子で有名な小布施の栗を頂きました。皮をむくのは大変ですが、我が家は「栗ご飯」と「ゆで栗」が定番です。昔のガスレンジなので火加減など全て手動ですが、これが楽しいのです。何でも自動で勝手に美味しくできるなんて、つまらないですよね。
最近はAI・人工知能など進化した方々が活躍し始めていますが、この先ますます幅を利かせてくるのでしょう。今のところ私には馴染めそうにありません。という私ですが、google先生(ナビです)にはいつもお世話になっていました。なるほど最近はスマホ任せで行先のルートが頭に入っていないのでドライブの楽しさ半減です。すべて手動とはいきませんが、楽しむ!という行動は頭を使った手動でありたいものです。と最近よく思うのです。ということは設計作業も同じですね。

命の選択2019秋 其の一2019.11.05

「10月4日」豪雨のち快晴
車に大量の荷物を詰め込んで7泊8日の初日です。
長野市から600km先の岡山を目指して早朝暗い時間に家を出たのですが、
長野県を抜けるまでの高速道路は雷雨で視界不良?!
それが東名高速を走る頃にはすっかり天気が良くなり、
途中新しくできた宝塚北サービスエリアに寄った時の事、最近のSAはすごい!
パラドールみたいな外観に、料金設定高めなパン屋さんと着飾った紳士淑女たちも(気のせいかな)。
遠方への旅はこんな文化の違いや話し言葉(方言)の違いがなぜか楽しいものです。
と ここまでは道中の話です。

岡山に着いて、まずは「岡山後楽園」を訪問。
岡山は今回で4度目の滞在なのですが、日本三名園のひとつ「岡山後楽園」は初めてです。

この後楽園は、雪吊りが特徴で木々の多い金沢兼六園と違い、
広い芝と池の庭園といったところでしょうか。
それが「月に後楽園」と言われる理由なのでしょうね。
ん~個人的には変化に富んだ兼六園に一票!

隣の岡山城にも立ち寄りましたが、ここはコンクリート城でした。
第二次世界大戦で焼失してしまったのが残念です。

ホテルで一休み後、岡山の飲食街に繰り出し、岡山お好み焼き店へ。
汚い(失礼)店内にも拘わらず客でいっぱいの暖簾を躊躇なくくぐり、まずは牡蠣お好み焼きを注文。
落ち着いて店内を見回したら、我々は異邦人?と思ってしまうほど外国の方々に囲まれていました。
髭面のバックパッカーらしき欧米風青年が、おぼつかない箸を持ち旨そうにお好み焼きを口に運び、
隣席のおひとり様韓国人の青年は高価なカメラ片手にお好み焼きの写真を撮り、
大阪系のおばちゃま達は日本語とは思えない大阪弁で…、
イスラム系のペアは喧嘩したのか険悪な雰囲気。
食事と共に人間ウォッチングを満喫してしまいました。
もちろん「牡蠣おこ」最高でした。

(つづく)

命の洗濯2019 秋 序2019.10.14

命の洗濯2019 秋
昨年は何かと忙しく実施できなかったシリーズ復活です
今回は瀬戸内国際芸術祭の鑑賞を兼ねた旅です
旅の様子はこれから少しずつアップします

病院(診療所)が完成しました2019.09.30

病院、診療所

昨年から設計及び現場監理を進めてきた病院(診療所)が7月にオープン致しました。院長は人工関節の名医であり、設計の考え方にも理解頂き、また現場では苦労の連続でしたが無事完成致しました。

 

キャンプスタイルと住宅の変貌2019.09.11

昔の話ですが、キャンプに良く行ったものです。当時は小さな車に大きなキャンプ道具や自転車まで積んで実に目立ったキャンプ?でした。ルパン三世のフィアット500の屋根に大きな荷物を積んだような格好といえば想像し易いでしょうか。20代の若い頃のキャンプだから遊び道具満載で、ただそれがお洒落だと勘違いし、キャンプのスタイルを醸し出すだけの、思い起こせば恥ずかしいキャンプでした。
(写真は事務所の窓に張っている私の好きな絵です)
そして最近またキャンプを始めるようになりました。今流行っているのですね。今度は昔と違い、オートバイに必要最小限の道具を積んでのキャンプです。昔と対照的ですね。バブル時代から3.11の震災を経て人々の価値観も変わり、当に時代の変貌を感じます。

この週末オートバイのイベントがありキャンプを兼ねて参加してきました。周りを見渡すとテントはコンパクト、そして夫婦別寝スタイルの2個テントまで登場。はたまたお母さんグループのキャンプ群まで出現したのにはびっくりしました。キャンプといったら男の遊び!と思うのは昔の考えなのですね。興味深く観察すると、雰囲気がまるで住宅のようなのです。テント周辺の木立を利用し、簡易物干し場をロープで造り、子供の洗濯物が見事に干されていました。お母さん方は合理的だな。
一方住宅事情に目を向けると、住宅様式の変化がキャンプスタイルにも影響していることを感じます。個の重視、シンプル、多目的空間に張り付く個室空間。そしてキッチンが幅を利かせている共用空間。使う材料はバラック(ワイルド)的な仕様がもてはやされ、仮設的な住宅がキャンプと連想させます。住宅とキャンプは共通点が多いですね。両者共暮らしの一部ですから当たり前ですよね。あ~キャンプサイトがまるでシェアハウスに見えてきました。10年後のキャンプがどのような様式になっているか想像が難しいですが、自分の設計する住宅は流行を真似ただけの薄っぺらい住宅にはしたくないと、キャンプ場の風景を眺め改めて感じた休日でした。

 

信州の建築家とつくる家 Vol142019.09.04

遅ればせながら雑誌掲載のお知らせです
今年(2019年)4月発刊の住宅雑誌です
各書店等に並んでいると思いますので
手にとってパラパラとページをめくって
気に入ったら購入をお願いします

手前のGaudi(ガウディ)先生も熱心に眺めております

アルキメデスの大戦2019.09.03

先日久しぶりに邦画を観てきました。映画館で邦画を観るなんてほとんどありませんが、なかなか設計者として共感が持てた映画でした。子供の頃、戦艦大和なる本を親に買ってもらいスペックを暗記するほどその本を眺めていたことをこの映画を観て思い出しました。今で言うオタクですね。
話は変わりますが【忖度】最近の社会ではこんな言葉に翻弄されていますね(私だけ?)この映画にも既に忖度が存在していたように感じます。というかいつの時代にも忖度は存在していたのでしょう。

菅田将暉」演じる天才数学者が戦艦の設計をすることは非現実的な設定ですが、忖度で動く日本の上層部と対峙するように何が大切なのかを考え物を創る(創りたい)という情熱が映画を通して伝わってきます。寝る間も惜しみ、食事もそこそこに設計に集中する。設計者として考えさせられるシーンでした。
私はというと残念ながら最近こんな情熱的な作業はしておりません。「予算が」「納期が」などは勿論大切なことですが、そうでなくもっと本質的な設計情熱、胸の奥底から湧き出る気合のようなもの。そんな気持ちをもう一度取り戻したい!そう思った映画でした。

日本人の美意識はどこへ...2018.12.20

2006年にHP上に掲載したコラムとなります。

トルコへ旅行に行った時の話です。首都イスタンブールからトルコ中部のアナトリア高原のカイセリ空港に降り立った瞬間、イスラムの世界を実感しました。朝5時にコーランの大音響でたたき起こされ、マーケットでは黒ずくめの婦人が群がり、かなり緊張した記憶があります。もちろんお金がないので裕福ツアーではなく、個人旅行でした。ドルムッシュという庶民の乗り合いバスを利用することが多く、乗客からは珍しがられ、「どこから来たんだ?おージャポン、ジャポン」とそのバス内では有名人になりました。そんな珍道中の旅で辿り着いたのがこの町「ムスタファパシャ」です。

この街は元々キリシャ系住民が住んでおり、1924年に行われた住民交換でギリシャへ移動させられた民族が住んでいた街です。小さな街ですが日干しレンガの建物で統一され、ぼろぼろの建物ですが、遠目で見ると美しい街に見えます。ここは世界遺産のカッパドキアに近く、キリスト教徒が隠れ住んでいたところだと聞きました。トルコという国はまだ貧しい国で、このような崩れかけた建物を修理あるいは建替えるお金がありません。(これは想像です)恐らく日本の場合、最新デザインの建物に建替えられるか、外壁面を雨風からしのげるよう鉄板で被い、景観などは二の次の場合が多いのではないでしょうか。ほんの少し前には世界中から絶賛された日本の美意識、集落、甍が失いつつある現代、物と情報に溢れ返ったこの日本に再度美しい街として絶賛される時代がおとづれるのか、新し物好きな日本人(私もそうです)が古い文化を見直すことが出来るのか。建築家の責任は大きいように感じます