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命の洗濯2019秋 其の六2021.06.28

コロナ禍では流石に命の洗濯にも行けず、途中で止まっていた「命の洗濯2019秋」をようやく書き終えました。残り3日間の記録を数回に分けてアップします。

「10月9日」快晴

この日は朝から雲一つない晴天!とても気持ち良い朝を迎えました。ホテルで早めの朝食を済ませた後、呉に向かいました。呉に着いて無意識に眺めたのが広島市方面の山。前日の広島平和記念資料館で知った呉から山越しに見えたキノコ雲を想像していました。頭の中には資料館で目にした山の背面に姿を現したキノコ雲、当時の人々はこの山の背後に恐ろしい光景を見たように、頭の中は過去にタイムスリップしていました。そう、資料館の写真を目にしている風景と重ね合わせていたのです。そして原爆投下の日も今日と同じ快晴だったようです。

しばらくぼーっとした後、「てつのくじら館」へ。ここでは大きな潜水艦が出迎えてくれました。さすが造船の街といった印象です。この資料館は確か無料だったと記憶しています。何種類もの潜水艦の展示があり、内部に入ることができる潜水艦までありました。船内はとても狭く窓もなく、我々建築設計者では設計しない機能的な船内空間を体感することができました。

つづいて「大和ミュージアム」へ。ここは精巧な戦艦ヤマトの大きな模型が展示され圧倒されます。

午前中は何やら歴史の、それも悲劇の歴史を体感したようで、心のゆとりが無くなってきました。気を取り直しお昼にカレーで有名?な「港町珈琲店」で海軍さんのカレーを食べることに。店内の気持ち良い2階のデッキテラスで海上自衛隊の駆逐艦?などを見ながら荒波でもお皿からこぼれ落ちない、ねっとりしたカレーを堪能しました。これが本当に旨いのです。旅行の疲れもあり、しばらくテラスで海を眺めて過ごし、帰りにお土産のカレーをお買い上げ。

その後、広島市の毘沙門台にあるカフェ・ダスティアーツへ。この店は建築家(谷尻誠氏)が設計した広島市内を見下ろせる高台に建つカフェで今日の目的地のひとつでした。

夕景をカウンターから眺めながら珈琲とクッキーを頬張りながら休憩しました。

広島に戻り夕飯は、地元の人たちで賑わっていたお好み焼き店へ。「そうですか、はるばる長野から来たのですか」と広島弁でマスターから、お隣のお客さんから激励の言葉で長い一日が終わりました。
(つづく)

 

ちょっと山まで2021.06.09

誕生日と重なった休日、山に登った–登山でなく車です。冬には良く訪れる志賀高原の初夏、この季節は風がとても心地よい。昔はこのロープウェイでスキー片手に向かいの山(西館山)へ何度も渡ったものです。残念ながら今は過去の乗り物(展示物)になってしまって…。この歳となってはロープウェイ前の彼らのように青春(死語でしょうか)はできないですが、半世紀以上生きた今でも公私共に楽しいと思える事が何よりです。このロープウェイは恐らく同年代でしょうね。人生楽しいですか?と聞いてみたい同年代。それにしても良く見るとクラシックな渋い体つき、カッコいいね!なんて…ね。
人生楽しみついでに仕事ももうひと頑張り!この渋い、そして味わいのあるロープウェイのような、そんな建物を創るのが…理想です。

梅 と 桜2021.04.09

春の花が咲く季節はいいですよね。この季節は事務所へ歩いて通勤しています。といってものんびり歩いて20分程度でしょうか。この季節、朝は凛とした空気が気持ち良いのです。3週間ほど前から長野でも梅の花が咲きはじめ、続いてソメイヨシノも花を咲かせました。そろそろ若葉が芽吹く季節となりますね。で、歩いていると住宅の庭木にどうしても目が向いてしまうのです。仕事柄なのでしょうか。
通勤途中の道沿いに、あまり多くは無いのですが庭木に桜を植えている住宅を見かけます。季節を感じる木があるといいですね。
私の生まれた実家でも庭には梅の木がありました。子供の頃は花などに勿論興味などなく、季節を木々で感じる事もなかったのです。
話を通勤途中の庭木に戻しますが、今朝歩いていて感じたのは住宅にソメイヨシノがどうしても私には馴染めないのです。なぜでしょうね。日本家屋といえば平屋の住宅に小さな庭があり、そこには梅のうねった枝が道路側に迫り出す風景が頭にはあるのです。生まれ育った庭の梅が原風景となって心に焼き付いているのか。

ソメイヨシノはもともと人工的に創られた桜かと記憶しています。どうもここに引っ掛かりがあるのか?ソメイヨシノは公園の木ならいいのか?でも神社やお墓を見守るように咲いている桜は心惹かれるし…。写真は今朝撮った写真です。ここは通勤途中に立ち寄る神社ですが、こんな桜はいいですね。通勤では住宅の庭木桜と神社の桜を見比べ、住宅に桜は馴染めないものか?こんな事を考えながら歩いてきました。

桜(ソメイヨシノ)が住宅に馴染まない理由、今回通勤中の議題の結論は相変わらず持ち越しとなりました。(枝ぶりと建物-屋根のバランスによるものなのかな?)とブツブツ。

住宅が完成しました2021.03.24

コロナなどの影響で工事期間が3ヵ月伸びてしまった住宅がようやく完成しました
浅間山が綺麗に望めます…が北方面なのが残念です

キッチンの壁にモールテックスという特殊な塗材を施して油汚れ対策を施しました

2階の書斎からリビングが良く見えます。まるで司令塔のよう

ひかり保育園(長野市)が間も無く完成します2021.03.02

コロナの影響もあるなか、何とか予定通り4月からの認定保育園に向けた園舎本体が完成しました。
残りの植栽工事を今月完了させると、いよいよ子供たちはこの場所での思い出が原風景となり心に刻まれるのでしょうね。
今月の植栽工事が残っていますが、もうひと頑張りです。

ほぼ日手帳2021.02.15

20年ほど使ったシステム手帳が少しずつ色褪せ、いつの間にやら綻んで、意を決して2021年から新しい手帳にした。「ほぼ日手帳」と呼ばれるもの。-ほぼ-という大雑把な名前に惹かれたこの手帳はスケジュールと毎日何かを記録する項もあり、日記の様に使えるところが気に入り購入した。体裁は気にせず感じたことや考えている事など文字と下手な絵を取り混ぜ記録し始めて1ヵ月、恥ずかしくてお見せ出来ませんが相変わらず字が汚い(下手な)のが気になります。
背後にあるノートは仕事用ノートで打合せた内容をメモするためのもので後からの読解に苦労してます。
なかなか時代に反してアナログですね。

命の洗濯2019秋 其の五2021.01.05

「10月8日」曇りのち晴れ
呉にあるホテルで朝を迎えたのですが、周辺の大和ミュージアムはじめ博物館は残念ながら休館日でした。仕方がないので予定を変更し急遽広島市へ向かいました。地図を見ると広島市街は呉からひと山超えた先。グーグル先生頼りに目的地へ向かったのですが、細い道や大通りをいきなり右折の指示があり冒険のドライブを楽しませてもらいました。広島市街でまず車を宿泊先のホテルに停め、荷物をホテルに預け広島市街の大通りを散策しました。ホテルからのんびり大通りを歩くこと15分程で原爆ドームがある平和記念公園に到着しました。修学旅行以来の原爆ドームが今も変わらず建っており少し感激。広島平和記念資料館の前には多くの観光客がチケットを求め長蛇の列でした。原爆の惨状を見学に来たのでしょうか、海外から来た観光客が日本人より多く感じます。ここはインバウンドもまだ少なかった40年前と違うところでしょうね。私も大柄な観光客と共に丹下健三設計のこの記念館の見学と展示物をじっくり見ながら敗戦に追い込んだ原子爆弾の脅威を目の当たりにしました。少し前に「アルキメデスの大戦」という映画を観た影響もあり興味深く見学できました。




その後広島で旬な「おりずるタワー」を見学して、お昼にお好み屋さんの暖簾をくぐり広島風の味を堪能しました。広島での目的のひとつが「世界平和祈念堂」の見学です。ここは尊敬する建築家の故村野藤吾氏が設計した教会なのです。

装飾がきれいな銅製の扉を潜り教会内に入ると正面にはキリスト像、そしてステンドグラスが我々を出迎えるかのようでした。しばらく木製の長椅子に腰を掛け室内を見回すと、一人で椅子に座っている異国の観光客らしい女性が涙を拭っている姿を目にしました。原爆による大量死を嘆きイエスに祈っているかのようにも感じ、ここはそんな人々のための教会なのかもしれませんね。そしてもう一方、カメラマンらしき人がひとり大きな三脚を抱え丁寧に写真撮影に精を出していました。私も見習って、遠慮がちに、でも大胆に写真を撮り始めました。


命の洗濯2020 秋 序2020.12.02

楓の葉が少し赤くなり始めた京都へ
観光客が少ない京都へ
コロナが少し落ち着いていた京都へ
今回は車で訪れました
命の洗濯2019 秋を書き終えたら 詳細はアップしたいと…

文化の違いでしょうか?2020.10.22

〆切物件をひとつ終え、先週は久しぶりの休日でした。
11年事務所の車として働いてくれたジムニーが壊れ、新しく迎い入れたフランス嬢で昨年初めて訪れた「魚沼の里-みんなの社員食堂」を再訪。道中見つけた茅葺の神社で日本とフランスの対比をカメラでパシャリ!湿度を感じる日本家屋と、さっぱりとしたフランスの車がどことなく対峙しているようで、そうでもないような…
屋根を大きく開けた車で秋空の気持ち良い一日を満喫できました。

ハスの実2020.10.20


設計仲間とプロポーザルコンペに参加した時、建築地の隣に佇んでいたハスです。
綺麗に南を向いていたハスが実を付けていました。実物を見るのは初めてでしたが、色も形もプロポーションも全て綺麗です。こんな有機的な建築が出来たらいいな。そう思いました。昔映画で見たETの宇宙人の子に何となく似てませんか?

保育園が上棟を迎えました2020.09.28

今月の上棟(その2)
9月のお日柄も良い大安の日、保育園が上棟しました。
昨年暮れから各種申請に始まり、コロナ禍の5月連休が終わった頃、設計図の作図も終了した保育園です。


命の洗濯2019秋 其の四2020.09.21

「命の洗濯2020夏-東北」を計画していましたが…
やはりはコロナ禍の影響で中止としました。
で、一年前の「命の洗濯」も書き終えていないのに時期尚早でしたね。 記憶を辿って….

「10月7日」晴れ
尾道から「しまなみ海道」そして「とびしま街道」を走り広島県の呉に向かいました。前日から福山市のホテルに宿泊したのですが、マンションからホテルへとリノベーションした宿泊施設としては珍しいケースかと思い興味本位で予約を入れ体験宿泊しました。部屋に入った瞬間は「ん?普通のアパートにベッドを置いただけか~」と感じたのですが、浴室は少し快適で、1階のレストランバーが居心地良く、なかなか快適なホテルに思うようになってきました。これは今後を見据えた設計アイディアの参考になりますね。そして翌朝、1階のバーで食べる朝食とオレンジジュースが美味く気持ち良くホテルを後にしました。

車に荷物を積み込み、まずは尾道の隣島「向島」で寄り道。というのも尾道駅の土産店で店主から「うしおチョコレートが絶品、 ぜひ立ち寄ってみて下さい!」などと言われ、ついついその気に。ここ瀬戸内海に浮かぶ島々や四国の地形は起伏が激しいのが特徴ですが、ここ向島も細い道と急坂の連続で「あれ~道間違えたかな?」と思う荒れた道を走り、行き着いたところは観光地化されていない見晴らしの良い場所でした。ここに「うしおチョコレート工場」はひっそりと建っていて、ゆっくりと時間が流れているようで癒しスポット満載な工場です。うしおチョコレートはチョコにしてはちょっと高価ですが、六角形の包装とデザインが気に入りご近所縁者の分まで購入しました。


続いて因島の発酵パークに立ち寄り、それから生口島に渡り「未来心の丘」がある耕三寺へ。後になって判ったのですが、ここ耕三寺にある博物館には「佐竹本三十六歌仙」の1枚が展示されていたようです。元々は絵巻でしたが、海外流出防止策として絵巻を切り分け、それを複数の資産家に売却、保管依頼した経緯があり、以前から興味あった絵なので博物館に立ち寄らなかったことを今になって後悔しています。

耕三寺は日光東照宮のようですね。この境内には「未来心の丘」という大理石で作った彫刻があります。お寺にはどうかと思いましたが、なかなか瀬戸内海が地中海に思えてきました。

続いて隣の大三島に渡り昼食に何か旨いものがないかネットで探し「大漁」というお寿司屋さんに辿り着きました。ここは値段が安くてびっくり!記憶が定かでないのですが、ちらし寿司で500円程度かと記憶しています。
そしてお昼を食べ外に出ると、隣の神社でなにやら人だかりが。気になって覗いてみると、なんと「ひとり相撲」を披露しているではありませんか。この一人相撲は大山祇神社の境内で毎年秋に行われる愛媛県の無形民俗文化財らしく、偶然に見ることができ良い記念となりました。

この神社の四国寄りの突端に宗方という港があります。この港から岡村島へ船で移動しないと、呉へは行けません。一日数便と本数が少ない連絡船に車を乗せての移動ですが、乗船時間も差し迫っているというのに、この大三島には建築家が自ら設計した「伊藤豊雄建築ミュージアム」があり、ここも外せません。少し車のタイヤを鳴らしながら…(イメージです)建築ミュージアムにたどり着くと、なんと休館日!数台のバイカーもツーリングで立ち寄ったのでしょうか、残念そうにしばらくミュージアムを眺めて走り去って行きました。私も早足で施設を回り写真を撮って港に向かいました。

連絡船に車を載せ到着したのが岡村島。小さな島です。ここには御手洗という古い町並みが残っており、この集落が発祥といわれる「SCHOOL」通学路の看板の原型が今も路地に残っています。この看板に描かれている子供は随分と足の長いですねー。羨ましい!




人がほとんど見かけないこの集落で、なぜか飼い猫が私に近寄って、離れようとしないのです。一緒に遊んで欲しかったのでしょうか。しばし戯れ~。

地方へ旅行すると文化の違いを目にします。果物だったり、お土産や景色など私の住んでいる長野市とはずいぶんと目にするものが違います。今回初めてみかんやレモンの木を見たり、これも旅行の醍醐味ですね。

集落を丘の上から陽が西に傾くまで眺め、とびしま街道を呉に走らせ夕方ホテルに到着しました。ホテルで少し休んだ後、近くの若者が集まるバルのような居酒屋で、飲めもしないアルコールを嗜みながら、店員と少し雑談して呉の夜は更けていきました。



(つづく)