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病院(診療所)が完成しました2019.09.30

病院、診療所

昨年から設計及び現場監理を進めてきた病院(診療所)が7月にオープン致しました。院長は人工関節の名医であり、設計の考え方にも理解頂き、また現場では苦労の連続でしたが無事完成致しました。

 

キャンプスタイルと住宅の変貌2019.09.11

昔の話ですが、キャンプに良く行ったものです。当時は小さな車に大きなキャンプ道具や自転車まで積んで実に目立ったキャンプ?でした。ルパン三世のフィアット500の屋根に大きな荷物を積んだような格好といえば想像し易いでしょうか。20代の若い頃のキャンプだから遊び道具満載で、ただそれがお洒落だと勘違いし、キャンプのスタイルを醸し出すだけの、思い起こせば恥ずかしいキャンプでした。
(写真は事務所の窓に張っている私の好きな絵です)
そして最近またキャンプを始めるようになりました。今流行っているのですね。今度は昔と違い、オートバイに必要最小限の道具を積んでのキャンプです。昔と対照的ですね。バブル時代から3.11の震災を経て人々の価値観も変わり、当に時代の変貌を感じます。

この週末オートバイのイベントがありキャンプを兼ねて参加してきました。周りを見渡すとテントはコンパクト、そして夫婦別寝スタイルの2個テントまで登場。はたまたお母さんグループのキャンプ群まで出現したのにはびっくりしました。キャンプといったら男の遊び!と思うのは昔の考えなのですね。興味深く観察すると、雰囲気がまるで住宅のようなのです。テント周辺の木立を利用し、簡易物干し場をロープで造り、子供の洗濯物が見事に干されていました。お母さん方は合理的だな。
一方住宅事情に目を向けると、住宅様式の変化がキャンプスタイルにも影響していることを感じます。個の重視、シンプル、多目的空間に張り付く個室空間。そしてキッチンが幅を利かせている共用空間。使う材料はバラック(ワイルド)的な仕様がもてはやされ、仮設的な住宅がキャンプと連想させます。住宅とキャンプは共通点が多いですね。両者共暮らしの一部ですから当たり前ですよね。あ~キャンプサイトがまるでシェアハウスに見えてきました。10年後のキャンプがどのような様式になっているか想像が難しいですが、自分の設計する住宅は流行を真似ただけの薄っぺらい住宅にはしたくないと、キャンプ場の風景を眺め改めて感じた休日でした。

 

信州の建築家とつくる家 Vol142019.09.04

遅ればせながら雑誌掲載のお知らせです
今年(2019年)4月発刊の住宅雑誌です
各書店等に並んでいると思いますので
手にとってパラパラとページをめくって
気に入ったら購入をお願いします

手前のGaudi(ガウディ)先生も熱心に眺めております

アルキメデスの大戦2019.09.03

先日久しぶりに邦画を観てきました。映画館で邦画を観るなんてほとんどありませんが、なかなか設計者として共感が持てた映画でした。子供の頃、戦艦大和なる本を親に買ってもらいスペックを暗記するほどその本を眺めていたことをこの映画を観て思い出しました。今で言うオタクですね。
話は変わりますが【忖度】最近の社会ではこんな言葉に翻弄されていますね(私だけ?)この映画にも既に忖度が存在していたように感じます。というかいつの時代にも忖度は存在していたのでしょう。

菅田将暉」演じる天才数学者が戦艦の設計をすることは非現実的な設定ですが、忖度で動く日本の上層部と対峙するように何が大切なのかを考え物を創る(創りたい)という情熱が映画を通して伝わってきます。寝る間も惜しみ、食事もそこそこに設計に集中する。設計者として考えさせられるシーンでした。
私はというと残念ながら最近こんな情熱的な作業はしておりません。「予算が」「納期が」などは勿論大切なことですが、そうでなくもっと本質的な設計情熱、胸の奥底から湧き出る気合のようなもの。そんな気持ちをもう一度取り戻したい!そう思った映画でした。

日本人の美意識はどこへ...2018.12.20

2006年にHP上に掲載したコラムとなります。

トルコへ旅行に行った時の話です。首都イスタンブールからトルコ中部のアナトリア高原のカイセリ空港に降り立った瞬間、イスラムの世界を実感しました。朝5時にコーランの大音響でたたき起こされ、マーケットでは黒ずくめの婦人が群がり、かなり緊張した記憶があります。もちろんお金がないので裕福ツアーではなく、個人旅行でした。ドルムッシュという庶民の乗り合いバスを利用することが多く、乗客からは珍しがられ、「どこから来たんだ?おージャポン、ジャポン」とそのバス内では有名人になりました。そんな珍道中の旅で辿り着いたのがこの町「ムスタファパシャ」です。

この街は元々キリシャ系住民が住んでおり、1924年に行われた住民交換でギリシャへ移動させられた民族が住んでいた街です。小さな街ですが日干しレンガの建物で統一され、ぼろぼろの建物ですが、遠目で見ると美しい街に見えます。ここは世界遺産のカッパドキアに近く、キリスト教徒が隠れ住んでいたところだと聞きました。トルコという国はまだ貧しい国で、このような崩れかけた建物を修理あるいは建替えるお金がありません。(これは想像です)恐らく日本の場合、最新デザインの建物に建替えられるか、外壁面を雨風からしのげるよう鉄板で被い、景観などは二の次の場合が多いのではないでしょうか。ほんの少し前には世界中から絶賛された日本の美意識、集落、甍が失いつつある現代、物と情報に溢れ返ったこの日本に再度美しい街として絶賛される時代がおとづれるのか、新し物好きな日本人(私もそうです)が古い文化を見直すことが出来るのか。建築家の責任は大きいように感じます

フリーハンド!2018.06.07

事務所から歩いて行ける距離の現場です。が
本日はとても暑いので車で現場に出向きました。
暑い中、とても丁寧な大工さんがコツコツ造って頂いている住宅ですが、
久しぶりに現場でフリーハンド!

玄関のポーチに入る開口部ですが、
今回の住宅は外壁が曲面で構成しているため
入り口も曲線で。

なかなかいい感じに出来てきました。

プレファブと手作り2018.04.27

【晴天の上棟式】
上棟式を迎えた住宅です。上棟式の当日、夕方になると帰宅途中の学生が多いことに初めて気が付くという設計者としては少し恥ずかしい出来事でした。車の往来やごみ集積場、そして外灯の有無などのチェックは勿論、どんな人が何時歩いているか….建築設計では大切な調査ですね。
そんな失態を感じつつ「わー住宅建ててる!」「あんな風に家建てるんだ~」と通り過ぎる学生の声が聞こえてきました。モノを創る身としてはなんだかこの言葉が嬉しいですね。最近の家はプレファブが多く、作っているというより組み立てているといった感じなので新鮮に見えたのでしょう。この先ロボットが家を作る時代が来るのかは分かりませんが、手作りの良さは何事にも代え難いものだと思います。
写真ではシンプルに見える外観ですが、実は、よーく見ると、何かが複雑です!

燕子花(かきつばた)2018.04.18

5月の連休の計画は未だたっておりませんが、以前コラムに執筆したこんな休日もいいのかな
そんなことを考えながら…
今は無き昔のHPシリーズ  コラムをご覧ください

【今は無きコラム其の三】

尾形光琳の燕子花(かきつばた)の図で有名な場所へ行ってきました
ここは本当に東京の青山なのか、と思うほど静かで広大で、そして起伏に富んだ庭園があります。庭園内には根津美術館があり、そこに有名な国宝「燕子花図屏風」が展示され、丁度今が庭園の燕子花と合わせて鑑賞できる絶好の季節
尾形光琳の描いた燕子花と庭園に咲く燕子花。私には菖蒲(あやめ)との区別も付きませんが、コトワザの通り甲乙つけ難い美しさがあり、手入れの行き届いた庭には本物の燕子花が綺麗な花をつけておりました。光琳の描いた燕子花図は金を多用した立派な屏風絵ですが、ここには当時の最先端であろう一つの花をトレースして転写する技術が採用されているようです。今の用語で言うとコピー・ペーストといったところでしょうか。構図が美しいから出来る技ですね

この日は良く晴れた穏やかな一日で、周辺の施設では結婚式なども多いのか、花嫁姿を何人か見かけました。そして、この庭園内にいくつも点在している茶屋でお茶会なのでしょうか、着物を着た夫人が列をなして颯爽と無言で歩く姿に思わずカメラを向けてしまいました。今年の連休は仕事の予定もあり、思い切って休めませんが、こんな日本の文化に触れる休みもたまには良いものだと感じた一日でした。 (現在進行中の参考にと、あらゆる建物に目を光らせた一日でもありましたが…)

 

あーどこかに行きたい!(2013年5月執筆)

リノベーションで蔵から音楽ホールへ2018.04.16


長野マラソンのあった週末、8年69回目を迎えた音楽コンサートに行ってきました。今回は4重弦楽奏ということで、音楽に疎い私には全てが新鮮に聞こえます。
設計から8年経過したこの音楽ホールは、元々蔵として使われていたもの。それを音楽ホールにしたいとの相談があり今日に至りました。この場に佇んでいると、どうやら町の文化交流の場になりつつあるように私には見えました。隣り合わせの紳士との会話も楽しく「今年はプラハに行く予定で、毎年行ってます」「トスカーナ地方の農家ホテルは・・・」など欧州音楽旅の話も楽しく聞くことができたことは、旅行好きの私としては思わぬ収穫でもありました。そして いつも毎回満員御礼!
下段の写真は前回のコンサート時に撮影したものですが、楽器というのは単なる道具ではなく芸術品ですね。このチェンバロの形や色は建築の参考にもなりそうです。

エージング2018.04.11

引き渡し間近のお客さんから「購入したバイオリンと共に空間のエージングが楽しみです」
と言葉を頂いた。丁度読みかけの雑誌に次のような建築家(浦一也氏)の言葉が綴られてびっくりした。

 

最近新しくつくられた建築物は出来上がった時が一番美しく、それから時と共に「みすぼらしく」なっていく。・・・・・「エージング」という時間は空間づくりのテーマになっていない。

 

昔からの手作りと、天然素材で造った建物は、現代に無い「味」を持っていると思います。それは社寺仏閣や欧州の古い街並みにみられる、古くなって一層の美しさが感じる仕掛けのようなもの。古くは黄金比、白金比、そして白銀比など美しいと感じるプロポーションがある。このプロポーションと自然の素材が調和された時、人は美しいと感じるのではないでしょうか。一方最近の街を俯瞰すると、既製品の人工素材と間取りや外観が一緒の住宅が目に付きます。それは経済最優先の結果から出来てしまった住宅街ですね。

オートバイで町並みウォッチングが好きな私としては30年後、50年後の街並みに魅力を感じません。
写真は近江八幡-ロンダからの街並み-角館-トレド-南禅寺周辺  どの景色も心に残っています。

私の原風景2018.04.03

4月に入り急に気温も上昇し、ここ長野でも桜が咲き始めました。
今は無き昔のHPに執筆したコラムを、今後少しずつご紹介するなかで
【桜】の写真が目に留まりましたのでご紹介致します。
写真の画質も荒いのですがご了承ください

【今は無きコラム其の二】

5月の連休はどこも混んでいるので、空いてる道をあてもなく進むと偶然にも「高野辰之記念館」にたどり着いた。
高野辰之という人物の詳細は詳しく無かったため、あまり期待せずに記念館へ。
内部の展示方法は建築的にはあまり魅力は無かったのですが、
この人物は【ふるさと】【もみじ】【春が来た】【おぼろ月夜】【春の小川】 など
小学校の時に習う唱歌の作詞者だったことがわかりました。
30年以上前に覚えた歌が今も歌えるほど有名な唱歌ばかりです。
この唱歌は曲より詩が印象的で良く覚えています。
当時は何もわからず、ただ口ずさんでいた唱歌ですが、
今はこの詩の情景を思うと心が穏やかになります。

子供の頃は損得考えず、ひたすら無邪気に遊んでいた頃の情景が思い出されます。
この記念館は長野県中野市という町にありますが、生家も近くにありますので、
近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。
この記念館の近くには【ふるさと】に出てくる「小フナ釣りしかの川」があり、
【おぼろ月夜】の「菜の花畠」「見渡す山の端」もこの町(村)には残っています。
近年日本のあちこちで「残したい風景・まち」などの記事を目にしますが、
ただただ均一的でグローバルスタンダードな建築だけではなく、
これから日本の原風景になりうる情景を設計していきたいと改めて思いました。
帰りの車の中で相棒は唱歌を思い切り大きな声で歌って….

こころ おだやか (2006年 執筆)

手作りということ2018.03.27

今は無き昔のHPに執筆したコラムを、今後少しずつご紹介したいと思います
写真の画質も荒いのですがご了承ください

【今は無きコラム其の一】

この写真は私の家族が創ったリースです。
材料は布です。白い布を染料で染め上げ、その布をコテで葉の形に形成していきます。
細かな仕事で時間も掛かります。
しかし一つしかないこの作品は、多少出来が悪くとも愛着が湧くものです。
住宅も同じではないでしょうか。
熟慮した住宅は機能的にもデザイン的にも美しさが感じられます。
一方、ハウスメーカーなどで建てた工業化住宅(プレハブ住宅)はなぜかそれが感じられません。
機能的に考え抜かれた住宅なので性能は良いのでしょうが、
プレハブ住宅だけの街など想像したくありません。
同じ材料、同じ間取り、そして屋根の形状が少し違うだけ。
九州でも北海道でも。どこか寂しく愛着が湧きません。
こんな街が私の住む地区にも生まれようとしているのが実情です。

みなさん時間を惜しまずもっと手作りしましょう。(2006年執筆)